牧師が発明した「靴下編み機」
ウィリアム・リーは1563年ごろ、イングランドのノッティンガム近郊、カルヴァートン村に生まれました。ケンブリッジ大学で学んだのち、故郷で牧師補(副牧師)を務めていたとされています。
1589年、リーは手編みの動きを機械で再現する「ストッキング・フレーム(靴下編み機)」を発明しました。思いを寄せた女性が編み物に夢中で、自分に振り向いてくれなかったことが発明のきっかけだった、という逸話も残っていますが、これは後の時代に語られた言い伝えとされています。
女王に認められなかった発明
リーは編み機をロンドンに持ち込み、エリザベス1世に特許を願い出ました。しかし女王はこれを認めませんでした。初期の編み機で編めたのは目の粗い毛織物の靴下だったこと、そして手編みで生計を立てる人々の仕事を奪いかねないことが理由だったといわれています。
リーはあきらめず改良を重ね、1598年ごろには、より細かい目で絹の靴下を編めるようになりました。それでも、次の国王ジェームズ1世からも特許は得られませんでした。
フランスでの再出発と、突然の悲劇
産業の振興に力を入れていたフランス国王アンリ4世の支援を受けて、リーは1608年ごろ、弟ジェームズや職人たち、そして編み機とともにフランスのルーアンへ渡ります。
ところが1610年、後ろ盾だったアンリ4世が暗殺されてしまいます。支援を失ったリーの事業は行き詰まり、1614年ごろ、リーはパリで亡くなりました。残された職人の多くは編み機を携えてイングランドへ戻ったと伝えられています。
いまの靴下につながる発明
リーの編み機は、その後イングランド各地に広まり、ノッティンガム周辺は靴下や編み物の一大産地になりました。手作業だった繊維づくりを機械に置き換えた最初の大きな一歩として、のちの産業革命につながる発明だったとも評価されています。
日本にも明治時代の初めに編み機が輸入され、大阪でも機械による靴下づくりが始まったとされています。生前は報われなかったリーの発明は、400年以上の時を経て、いまも私たちの足元を支えています。