長持ちの中から見つかった7足の靴下
昭和34年(1959年)、水戸徳川家の墓所がある茨城県常陸太田市の瑞龍山で、代々の品を納めた御庫(おくら)から、光圀の長持ちに入っていた7足の長靴下が見つかりました。
7足のうち3足は絹製で、色はうぐいす色、ベージュ、茶色。残る4足は、染めていない生成りの綿製で、パール編みの地模様が入っています。いずれも後ろに縫い目のない、丸編みの長靴下です。長持ちから一緒に出てきた品々の特徴などから、光圀が使っていたものとされています。
海を渡ってきた「メリヤス」
当時の日本では、足には足袋をはくのが当たり前でした。編んで作る靴下は、南蛮貿易の時代にヨーロッパから伝わった珍しい品で、「メリヤス」と呼ばれていました。スペイン語やポルトガル語で靴下を意味する言葉が語源とされ、伸び縮みして大きさを選ばないことから「莫大小(メリヤス)」という字も当てられました。
見つかった7足も外国から献上された品だった可能性があり、手編みか機械編みかは判断が難しいとされています。
黄門様は、本当にはいていた?
7足のうち茶色の絹の靴下は、すり切れてぼろぼろの状態でした。光圀がしまい込んでいただけでなく、実際にはいていたことがうかがえます。
光圀は、学問や新しいものへの関心がとても強い人物でした。「日本で初めてラーメンを食べた」という話でも知られています(ただし近年、それより古い記録も見つかっています)。足袋の時代に、海の向こうの靴下をいち早く試していた黄門様は、まさに「お洒落のパイオニア」だったのかもしれません。